辺野古・高江に行ってきました 続き

1日目→辺野古でお昼ご飯、那覇市へ路線バスで帰る。

2日目→乗用車で高江へ→同じ車で名護市へ。

3日目→名護市から女性3人のレンタカーに乗せてもらい、夜、名護市へ帰る。

4日目→名護市のドミトリーでのんびり。

5日目→名護市から那覇空港へ。夜、六ヶ所村へ帰る。

 

昆布がたくさん入った沖縄そばも食べたし、ステーキハウスでハンバーグもいただきました。

沖縄の食事はとにかくボリューム満点で安いのです。

野菜もたっぷり。

ところが帰宅した翌日、ネットニュースで、沖縄で福島を上回る放射能汚染被害が出ていることを知りました。

汚染された野菜が沖縄で大量に安く出回っているから。

 

安いホテルでつかの間、知り合ったフィンランドやイタリアなど遠い国の方々。

沖縄の高校生や地元の方々、全国から集まった数百人の方々。

一人ひとりはみんな、気持ちのいい人たちなのに、その人たちが知らずに汚染された食品を食べているのです。

横浜・川崎・品川・なにわ・和泉などのナンバーがついた警察の大型バスがたくさん停まっていたことにも驚きました。

 

沖縄って陸続きじゃないよね。

この大型バスはヘリコプターか船で運ぶしかないだろうに、そんなにしてまでつくらなければならない米軍施設なのか。

六ヶ所村にだって、こんなに全国からの機動隊員は集まらなかったぞ。

若い機動隊員をみて、複雑な気持ちにもなりました。

 

戦争で死んでゆくのはこの若い人たち。

たった70年の豊かな生活のために、わたしたちは何をしてきたのだろう。

一日目の那覇市で長い時間、路線バスの往復に付き合ってくださった女性たちが「もう、わじわじーして」と何度も話していました。

「わじわじー」というのはおだやかな怒りを表す独特の沖縄方言でしょうか。

 

辺野古では座り込み879日+あれから5日。

拘留された方はその日現在6人。

高江にも年金生活者と同数程度の若者たちが交じっていました。

沖縄県教組8県の代表が前に並んで挨拶したときには、現役の若さに歓声があがりました。

 

「うたえ、うたえ、うたえー、僕たちの人生は、自由にあこがれて、生きてゆけばいいのさ」。

ギターをひきながら、たたきつけるように全身でうたう川口真由美さんと、身動きもままならないほどの狭い場所にじっとしている参加者。

何ができるのだろう。

何をしたらいいのだろう。

 

考えながら帰ってきた六ヶ所村は、やはり冬。

異常に高温だけど雪の降る季節なのでした。

白さが日ごとに際立っていきます。

今日は煙突そうじをしなければ。

 

 

| - | 11:08 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |

辺野古・高江に行ってきました。

山本さんが引っ越す前に気になっているところへ行って来ようと1124日、まず福島へ。

ところが着いた日は54年ぶりの寒波で福島には雪が降って寒くて動く気力がなく翌日、悄然と松戸へ行きました。

千葉も都心も雪が積もっています。

 

27日に帰ってきて、29日には沖縄へ。

 

沖縄は127年ぶりの高気温で真夏日でした。

 

辺野古に行くバスに乗ろうと朝、県庁前に行きました。

同じ目的の女性2人もきたのですが、いつまで待ってもバスは来ない。

「どうします?」「解散しようか」などと話しているうちに、わたしが「青森から来ました」と言ったら、「それはもったいない。お金がかかってもいいから、行きましょう!」と、引っ張られるようにして路線バスに乗り込みました。

名護市付近でそのバスを降り、バスの運転手さんに教えてもらった辺野古行きのバスをさがしているうろうろしていると、乗りたいバスが走り去ってゆくのをみつけ、3人で追いかけました。が、あとのまつり。

タクシーなんてこない街のはずれ。

公園の近くでお昼寝しているタクシーの運転手さんを起こして、ようやく辺野古に着きました。

 

沖縄教組国頭支部、中頭村民会議・建白書を実現する会、読谷村・辺野古新吉ストップなどなど、沖縄各地ののぼり旗や横断幕が貼られたテント村の向かい側には「テント設置禁止」の看板が5枚。離れた場所にも数枚。沖縄県警の大型バス。機動隊員10数人。

 

 

辺野古でわかったのですが、その日は高江の集中行動日でバスは朝9時発。

私たちが着いたのは発車した10分後だったのでした。

ときおり降る激しい雨の中、テントの下でお昼を食べて、また長時間の路線バスに乗り、那覇市に帰りました。

往復5時間。

辺野古のテントにあった黄色い傘にも「辺野古を白紙に戻せ!」と大書してあったのを思い出しながら、沖縄のきれいな海と山、人家とシーサー、雨と夕焼けまで、たっぷりと堪能したのでした。

 

 

翌日、今日は遅れないぞと8時半に県庁前到着。

ところが待っていたのは乗用車1台。高江直行便。

「予約していなけど一人分、空きがありますから」。

うっ、予約が必要だったのか。

途中、観光案内までしていただき、楽しく雑談をしていると検問にあいました。

 

すでに停められた車が前に1台。

「どちらまで?」と若いお巡りさん。

「免許証を見せてください」。

運転手さんは落ち着いて免許証も出さず、冷静に遣り取りしています。

 

20数年前の六ヶ所村を思い出しました。

さりげなく後部座席のドアをロックし窓を閉めましたが、そこまでの必要はなかったようで、10分後には第一関門通過。

日本山妙法寺の一行が太鼓をたたきのぼり旗を持って歩いていました。

工事現場のゲート横には30数人が座り込み、道路を挟んでかわるがわるスピーチをし、歌を歌っていました。

ひっきりなしに坂の上から重ダンプが道路に出て、白い土ぼこりをまき散らして走りすぎます。

 

そして合間には職員がホースで水を流してほこりを洗い流す。

水の貴重な沖縄で、しかもこの山の上で、それはなんとも奇異な納得できない光景でした。

マスクは必需品なのです。

その日は名護市に泊まり、女性3人の車に便乗して朝5時出発。6時すぎに高江到着。

 

明るくなって沖縄各地からのバスが次々に到着しはじめ、積み上げていた板をコンクリートブロックの上に並べて集会の準備。

乗用車も次々に入ってきます。

両側の路側帯に人があふれ、次第に混雑して、ぶつからないように動くことすら難しくなってきました。

川口真由美さんのギターと歌で「ケサラ」など六ヶ所村でもその昔歌った懐かしい歌を、男性の力強いリードで(名前を忘れた)「沖縄 今こそ立ち上がろう」を、集会の合間には年配の男性のリードで体ほぐし体操も。

 

明日に続く……。

| - | 08:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

地震が続いています。

ちょっと寒いなと思いながら起き上りまだ暗い外を見ると、真っ白になっていました。

まだ完全には枯れていない牧草地も、牛小舎の屋根も、ただ白く、白く……。

あ〜ぁ、やっぱりねー。

ストーブを焚きつけてから新聞を取りに外に出てみると、まだ積もったとも言えないほどの量で、それでも前回よりは白さが際立っています。

 

薪づくりの一山はかたづけたけれど、割らなければならない太い部分がまだ10数個残っているし、細い枝の山もある。

けれど連日1時間ほどの薪づくりと白い世界にうんざりして、今日は休もうと決めました。

チェーン・ソーで切り込みを入れ、まさかりで割る。

切り込みが入れてあるから簡単に割れるかと思うのですが、振り下ろしたまさかりの刃はどうしたものか、切り込みから1センチか2センチ離れた場所に当たって、ぼよーんとはねかえされるばかり。

 

力、だけではないはず。

3歳の女の子だって割っていたんだから。

運動神経も関係あるのかもしれない。

とりあえず四日間で5個の丸太を割ることができました。

 

明日から四日間はJRの格安切符で福島と松戸に行く予定。

それから一度帰ってきて、1130日から5日まで沖縄へ。

沖縄の気温は27.2℃だそうです。

今日の青森は3℃ですから、その差を考えると起きて歩けるかどうかさえ疑問なので、今回は他の方に迷惑をかけない路線を選びました。

 

地震が続いています。

特に昨日は早朝、いきなりサイレンが鳴り出して驚きました。

「津波警報!津波警報! 高台に避難してください」。

サイレンの合間に出される警告も「こちらは六ヶ所村広報です」というのんびりした口調とは違っています。

あわててストーブの口をしっかりと閉めました。

 

台風のおかげで思いがけず薪は増えましたが、一連の台風はまだ各地に詰め痕を残しています。

野辺地のタカラ温泉も台風で屋根がはがれたと2週間、臨時休業をしていました。

久しぶりに行ってみると営業時間が30分繰り上がっていて、この被害はどこかから保障してもらえるのだろうかと心配になります。

その温泉に入った途端、「福島でM7.4、震度5」というテレビのニュースが耳に入り、立ち止まってまじまじと見つめてしまいました。

 

東日本大震災の余震。

ときどき自分が揺れているのか地震なのかわからなくなります。

パソコンの線が抜けてしまうのも無理はないかなとも思うのです。

六ヶ所村の核のゴミはあれからも増え続けています。

 

11月25日、原子力規制委員会が再処理工場の5キロ圏を予緊急時防護措置準備区域(PAZ)、5〜30キロ圏を予防的防護措置準備区域(UPZ)に設定する方針を決めたと報道されました。

これ、何が違うの?

 結局、事故前と何も変わらないじゃない。

 

これで安心という気持ちにはならないのです。

その数日前、「アヒンサー 第6号」が送られてきました。今回はカラーの図表もついており、わかりやすい構成になっています。100円。

そして一緒に入ってきたチラシが数年前の「世界の放射能汚染地図」。

第10位まである汚染ランキングで、フクシマは一位になっていました。

 

認めたくはないけど、こちらのほうが納得できる気もします。

子どもたちの発病数からみても。

昨日帰ってきてから、販売用に送ってもらおうと電話してみました。

「100冊送ります。種まき用に」。

 

明日からわたしは数日、沖縄に行ってきますが、留守の間に届いていると思います。

ご希望の方はどうぞご連絡ください。

 

今年も岩木山麓のおぐら農園からおいしいりんごが届きました。

昨年は不作だったようで、お会いするのは2年ぶり。

摘みたてりんごの宅配と大きくなった子どもたちの笑顔をみて、とてもうれしくなりました。

元気な子どもたちのお相手で、ヨシオは不安そうでした。

| - | 09:59 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |

パソコンが壊れたとおもったけど

メールを読もうとしたら、シューという音がして、画面が消えてしまいました。

ボタンを押しても反応がない。

うー、壊れたのかな。

ウィルスメールもかなりあったし。

 

仕方がなく本体とモニターを持って青森市のケーズデンキに。

パソコン関連の話になるとなぜか劣等生気分になっておろおろしてしまい、若い店員が優しい神様にも見えます。

「本体は大丈夫ですね」。よかった。

じゃあ、モニターは?

専用のケーブルを持っていかなかったので確認できず、その日はすごすご帰ってきました。

 

翌々日、ケーブルとモニターを持ってまた青森へ。

「うつりますね」。 えっ?

本体もモニターも壊れていない。

半信半疑で帰宅し、セットしてみました。

ちゃんと起動する。

 

考えた挙句の結論は、「線がはずれていた」のかもしれないということ。

度重なった地震のせいかなー。

なんだかばかばかしくもなりますが、この数日に費やした貴重な時間と体力はとりかえしがつかない。

あきらめて、あらためて「雪の前にできること」を整理し始めました。

 

屋根の修理→今年はもういいことにしよう。

薪作り→積み上げてあるものだけでも片付けなくては。

資料整理→喫緊の課題。

やりたくないことだらけではあります。

 

高江に行くのは体力が必要そうで、辺野古だけにしようかなと思い始めました。

レンタカーという手もあるけど。

どちらにしても12月はじめ。

そろそろ飛行機の予約もしないと。

 

薪ストーブの前で新聞を読んでいた朝、ふいに目の前がきらきら輝き始めました。

なんだろうとみていると木の枝越しにきらきらの位置は上に変わっていき、座っていた椅子の位置と日の出の方角が一直線になっていたのだとわかりました。

日の出の瞬間をまともにみたのははじめてです。

 

ころころに太ったヨシオは、足音をたてるようになりました。

肉球がかたくなったのかもしれませんが、木の床を歩くとき、爪が当たる音がします。

足音をたてる猫って、ねずみをとることができるのだろうか。

死んだねずみをみたくはないけれど、ちゃんと獲れると証明してほしくもあります。

 

 

 

 

 

| - | 10:30 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |

白い世界がはじまった……。

昨日から雪が降り始めました。

降りはじめは大きな白いひとひら。

「風花」というその言葉にふさわしい、六ヶ所村ではあまりない降り方で、めずらしいなと見とれていました。

ときどき晴れて陽がさしたりしているうちにだんだん風が強くなり、強風と細かい雪が吹き付けるおなじみの吹雪に。

 

9月の台風で倒れたおとなりの桜の木を薪にするため軽トラックで運んでいた2日目。

1メートル近くもある枝が地上10メートル近くのところから折れている。

手のとどくところは娘さんたちが切っていたのですが、ぶらさがっている太い枝は危ないから下に切り落とさないと。

脚立をのばしてチェーン・ソーを木の上に運び、生木の重さとあまりの大きさに疲れ果て、1日目は脚立を立てかけたまま終わりにしたのでした。

 

朝には気力も戻っているはずと甘く考えていましたが、ナタを使ってもらちがあかない。

不安定な足場でチェーン・ソーを使っているうちに疲れてしまい、落とした大枝を切り始めると刃がはさまって動かなくなってしまって、完全に力が尽きてしまいました。

助けを呼ぼう。

 

「出て行って」宣言をして以来、気まずかった山本さんに助けてコールをしに帰りました。

その日、山本さんともうひとりの青年はお休みだったのですが、まず、山本さんがチェーン・ソーを救出し、そして軽トラックいっぱいの生木の枝を運び、午後、青年と残りの木を運んでくれたのでした。

翌日「腰が痛い」とつぶやいていた山本さんに申し訳なくなりましたが、本当に感謝。

 

積もったともいえないほどの量ですが、今朝は一面に白い世界になり、未明に除雪車の音も聞こえました。

最高気温は6℃の予報。

やっぱりなー。

降らない筈はないよね。

 

残りの大きな枝も切ってしまわなくては。

横たわる大木ってどうやって切ったらいいのだろう。

どんなに小さく切っても持ち上げられないような重さに見えるので、今度ははじめから山本さんたちに運び役をお願いしました。

陽がさしていても寒いので本音は家から一歩も出たくないけど、雪の下になる前に薪にしてしまおう。

 

山本さんは行き先が決まったようで、引っ越しの準備をはじめました。

12月初旬には引っ越す予定。

留守番役がいるうちに沖縄の高江に行って来ようと計画をたてはじめました。

体力が必要そうでためらっていたのですが、いまはできることをするしかない。

 

経産省前テント広場も寒そうです。

デーリー東北にも載っていましたが、朝日新聞(核リポート)エネルギー革命「福島が世界の先駆けに」の記事で「コミュニティパワー(ご当地電力)」という言葉にひきつけられました。

一方、「東芝がイギリスで原発を建設」というニュースも。

世界中でいま、引くことのできない闘いがおこっているのだと感じます。
 

紅く燃えていたブルーベリーももみじも葉が落ちて、すっかり冬の気配になりました。

ヨシオは猫用出入り口から入ることができるようになりました。

学習できたんだ。おめでとう。

出る方はまだです。

 

 

 

| - | 09:23 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |

白鳥が渡る季節になりました。

渡り鳥に気が付いたのは10月3日。

鷹架沼の上を南へ飛んでいく小さな群れがみえました。

白鳥より小さいし、白くもないから、雁かなあ。

少しずつ群れの数も増えて、早朝や日中にも鳴き交わす 白鳥の声が聞こえるようになりました。

 

いつも変わらないのどかな風景。

ですが、今年はなんだか違うのです。

ほんの少しの違い。

何が違うのか言い表せるほどではない。

 

ずっと考えていたのてのですが、昨日、eppで江原さんからののお知らせメールを読み、紹介されていた映画を見て、ようやくわかりました。

これだったんだ。

 

<「地球に住んでいる人は。。。。絶対に見た方がいいです!」後数日は無料でみれます。

 

昨今は特に科学者などの専門家でなくても、普段の生活で、激しい気候の変化で、ヤバイ感じられます。世界では温暖化、気候変動といって生易しい言葉ではなく「気候危機」とも呼ばれています。

 

つまり、仮に今世界の原発をすべて廃炉にし、森林伐採を辞めたとしても、相当に厳しく苦しい世界に突入しているということです。

 

アカデミック賞俳優で国連平和大使のレオナルド・デカプリオのドキュメンタリ〜映画の「地球が壊れる前に」無料で見れます。>

 

https://www.youtube.com/watch?v=UjKoHS3mDLE

 

公開期間:1031()12:00118()14:00

 

わかったからと言って気分がはれるわけでもないのですが、あまりに問題が大きすぎてぼう然としてしまいます。

この自然の変化はもとにもどせるかどうかすら、もうわからないのです。

元凶のわたしたちの世代はかろうじて天寿をまっとうできるかもしれない。

子ども達の世代は…、わからない。

孫たちの世代は……。

 

東通原発5キロ圏でヨウ素剤の配布がはじまりました。

ヨウ素剤の期限は3年。

少なくとも3年に1度は現実問題としてとらえることができるのです。

六ヶ所村はまだ新規制基準が決まらないまま。

 

猫のヨシオは今朝も猫用出入り口を使えないまま、立ち往生していました。

 

 

 

 

| - | 09:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

低レベル、高レベル、低レベル、使用済み核燃料……

あのクレーンはバリアーではなかった……。

10月末、六ヶ所村には立て続けに核廃棄物が搬入されていたのです。

10月17日青栄丸・低レベル廃棄物、1023日パシフィック・グレープ・高レベル廃棄物、1024日青栄丸・低レベル廃棄物、1028日開栄丸・使用済み核燃料。

 

たしかに核のゴミ捨て場ではあるけど、一応、公共ふ頭であるむつ小川原港がこの10日間あまり、フェンスに固まれ警備員が立ち並ぶ原燃専用の貸切になっていたのです。

ぶたんはふつうの人たちがのんびりと釣竿を垂らしている岸壁なのに。

原発の再稼働が滞っている今も、六ヶ所村に核のゴミを持ち込むことに遠慮はいらないということか。

 

 パソコンをもたず、携帯電話の電源を最低時間いれただけで、浮世を離れていた数日間。

その間にも現実は容赦なくすすんでいたのでした。

まあ、村にいたとしても何もできないのだけど。

 

Nさんが忙しい合間を縫って、しかも私が寝ている間に、新米とゴボウを届けてくださいました。

恐縮したのですが、数日前もチンゲン菜とちぢみ菜を持って来訪。

1株で売っているチンゲン菜を5株ぐらい合わせたような大きさがあります。

「野菜工場で作った野菜はきれいにできるけど繊維質がないんです。露地栽培は味がちがいます」。

確かにおいしい。

今年は大根の種は買ったけれどまく元気もなかったので、ますますありがたくいただいたのでした。

 

霜が降りた昨夜、青々と茂っていたツルムラサキが全部しおれてしまいました。

気温が高かったのでこのまま春まで過ごせそうな気になっていたのですが、やっぱり冬はすぐそこにきているのです。

昨日は今季の最高気温と最低気温がどちらも最大になり、雪が降ったようでした。

わたしは何も知らず眠っていたのですが、寒かったのは確か。

そして今日は小春日和の典型のような暖かさ。

 

暑いのか寒いのか決められないまま、季節は過ぎていきます。

お利巧なのか馬鹿なのか決めかねるヨシオも、驚くほど大きくなりました。

でも雪は降るんだよね。きっと。

薪づくりに励む毎日を過ごしています。

 

| - | 10:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

高レベル廃棄物が搬入されました。

20日に到着するというので、朝、むつ小川原港に行ってみました。

8時10分着。

港に着く手前でもう船が接岸しているのが見えました。

クレーンが大小2基、岸壁に並んでいる。

 

どうして2基とも?

手前の小さなクレーンはバリアーのつもりか?

フェンスの向こう側には警備員が立ち並び、こちら側には誰もいないまま、時間が過ぎていきます。

向かい側の空き地にはときどき入れ替わる数台の車がいるけど、こちらはいつまでもただひとり。

 

どうする?

横断幕もマイクも持ってきていないし。

とりあえず電光表示板の気温を見に行ってきました。

16℃。

この時期にしては暖かい方かな。

 

眠くなってきたのでコーヒーで目を覚まそうと尾駮のコンビニまで行ってきました。

コンビニに着くころから空が暗くなり、雨が降り始め、風が強くなり……、それも夕立のような土砂降りではなく、冷たい本格的な雨。

暖かいコーヒーとカイロを買い、港に帰ると、沢口さんが来ていてうれしくなりました。

とりあえずは二人。

 

そしてまもなく女性がもうひとり。

山田清彦さんが街宣車を運転して10時に到着。4人だけ。

のぼり旗を3本組み立て、1人が道路の向かい側から写真を撮って抗議行動はおしまい。

11時を過ぎて気温も9℃になり、寒くなりすぎて私は帰宅。

 

その日は湯たんぽを三つ抱えて早々と眠ったのですが、風邪をひいたらしく、翌日はのどが痛くなっていたのでした。

雨の時も雪の時も、吹雪の真夜中も抗議行動をしたけれど、寒くて風邪をひいたのははじめて。

 翌日も9時前にむつ小川原港へ。

沢口さんも9時には着いて情報交換。

 

「昨日は3時までいた。搬入はなかったけど」。

その朝は8.2℃。

車の中でじっとしているだけでも凍えてきます。 

持ってきた本は読んでしまったし、どうしたものかと考えていると電話がかかってきました。

 

「あー、俺。荒木。グリンピースの事務局長と恵ちゃんも来るんで、10時半ごろ行くから」。

沢口さんはフェンスの側からときどき写真を撮り、じっと見ています。

「寒くてそんなに待てるかわかりません」とついいってしまいました。 

軟弱さに後ろめたくなりつつ。

 

むつ小川原湖港でハマギクが咲いているかなと期待していたのですが、木が生い茂りすぎてもう咲いていない。

薄紫の野菊を摘んできました。

オオマツヨイグサとノコギリソウはもう花の終わり。

砂地にニンジンの葉っぱもたくさん。

ハマニンジンなんてあったっけ?こんど調べてみよう。

 

結局この日も尾駮のコンビニでコーヒーとチョコレートを買い、山田さんが街宣車で、荒木さんが女性3人と到着した1時間後には帰宅。

本格的な風邪をひいてしまったようで喉が痛い。

高江で、福岡で、大阪で、東京で、福島で、函館で、青森でも、各地で市民が立ち上がり、行動を起こしていることが日々、伝わってきます。

日本は変わるかもしれない。

そんな希望が持てるようになりました。

 

とは言いながらも少し疲れたので、数日間「六ヶ所村の住民」を休むことにしました。

誰も知らない場所でひっそり過ごしてきます。

27日から復活します。

 

| - | 08:16 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |

集会所の花壇からマリーゴールドの苗をもらってきました。

雨に打たれ風に吹かれ、枯れる寸前のようにみえたマリーゴールド。

きのうゴミ拾いの共同作業のときにみたら、満開になっていたのでした。

草取りをしながら注意して見ると台風の前に種が落ちたらしく、株の間に無数の小さい苗が育っている。

雪を越せたら花が咲くかな。

 

小さい声でつぶやいたら「雪のあたらないとこに鉢植えして置けば、春に咲くよ」とお隣の方が教えてくれました。

このまま雪が降ったら枯れるだけなのだからもらってもいいかも。

やってみよう。

草取りの合間に小さな苗を50本ぐらいまとめて集めました。

 

特に好きな花ではないし、欲張りすぎかとも思いましたが、とにかくたくさん芽吹いているのです。

厳しい冬を生き延びられるかどうか、来年の春が楽しみです。

雨が多すぎ、日照不足で、野菜の育ちはどこでも最悪だったよう。

牧草の三番草も何度も雨にうたれていました。

天気予報が終日お日様マークでも雨が降ってくるのですから、どうしようもありません。

 

 

朝日新聞の「核リポート」河野太郎衆院議員へのインタビューを読みました。

 人件費を切れ、発電所を売れ 「もんじゅ」許した罪  虚構の核燃サイクルに終止符を

そうだ、そうだと思うのです。

こういう言葉にこそ国会議員は立ち上がって拍手してほしい。

 

低レベル廃棄物がまた六ヶ所村に搬入されました。

今年6回目。日本原子力発電所敦賀原発から1440本。当初は11、12日に予定していたが、荒天のため15、16日に延期されていた。

むつ小川原港まで行く時間もなかったのですが、もうつきあいきれない。

 

イギリスから輸送される高レベル廃棄物は今月下旬。

船は今はどのあたりにいるのだろう。

こちらは抗議行動を呼びかけるのだろうな。

到着日を早く発表してもらわないとこの先の予定をたてられない。

 

どちらにしても集まるのは少人数で港内に乱入するわけでもないのだから、公表してもいいじゃないと思うのですが、そうはしないのが大人げないところ。

もんじゅや核燃サイクルも、子どもの喧嘩にもならないような言い訳をしているようにしかみえません。

やめるにしても進めるにしても、もっとまともに議論してほしいと思うのです。

 

新潟県知事に米山さん当選。

玄海原発再稼働に佐賀県伊万里市と神崎市の2市長が反対を表明。

経済成長だけではない世論がようやく形になってきたようです。

うれしい。

 

この前AKOさんが泊まった時、ストーブの焚き付け用に落葉松の枝を運んでもらいました。

その枝をストーブに入る大きさにするのが今、わたしの大事な仕事です。

チェーン・ソー、ナタ、自分の腕。

いろいろ使ってみても続けるのは1時間が限度。

 

猫の手も借りたいのに、ヨシオはナタを使い始めると逃げ出してしまいます。

1時間働くだけで忙しいとは、恥ずかしくてとても言えないけど。

変わりやすい秋空の下できのう、アカトンボが飛んでいました。

 

| - | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

虹をみました。

青森市に向かって走っていた数日前の朝、北西の空に淡い虹をみつけました。

雨が多すぎて日照も少なかった今年、虹をみたのははじめて。

本当に淡くはかなげな虹で、走っているうちにすぐみえなくなってなってしまったけれど。

気温の極端な上下が続いて、今年ははじめてのことだらけ。

 

ズッキーニがとれなかった。

トマトやナスが全部枯れてしまった。

湿気で本棚の中棚がゆがみ、大崩落しそう。

大切にしていた絵本のページが張り付いて読めなくなった(さむがりやのサンタ。43年前の本) 。

豆炭コタツの豆炭入れが錆びてしまった。

 

まだまだいろいろある<はじめて>の不都合ですが、いったいこれはどこに苦情を言えばいいのか。

いろいろ考えても思い当たるところはありません。

天災に不平を言ってもしょうしがないしなー。

もんもんとしていた数日前、河北新報で「シェールガス掘削による地震 増」という記事をみつけました。

 

人為による天災。

 

ここ1年間、花とハーブの里に人が増えたせいか、この秋はハエも多くなりました。

暮らし方もいろいろあると思うのですが、やはり若者は万事につけて荒っぽいのです。

仕方がないのだろうなとは思ってみるのですが、どうやら責任は若者だけにあるのではないらしい。

自然を壊して気にしないこの暮らし方は都会の生活感覚そのもの。

 

都会で暮らしていると選択のしようがないし、何が問題なのかすらわからないまま大人になっていく。

救いようがないほど環境を壊し、天候そのものまで変わってきているいま、できることは何かあるのだろうかとまで思うのです。

 

でもゴミゼロ宣言をしている町だってあるのだし。

自分もその一員なのだし、人間が生きているそのこと自体、環境に負荷がかかっているのだから。

ときどき緑の中に落ちているゴミを拾いながら、わずかに自分を慰めています。

 

「経産省前テントひろば」通信を読んでいたら「抵抗権」という言葉が出てきました。

全共闘時代のそのころには文字通り、生きていくだけで精いっぱい(飢えていたこともあった)でしたから、はじめて読む言葉でもあったのです。

 内藤光博(専修大学教授・憲法学)氏。憲法上の「抵抗権」。

 

そうかあ。

日本の憲法ってすごいなあとあらためて感動したのでした。

 

 

猫のヨシオは日ごとに大きくなっています。

お客様が大好きで、だれの膝にも迷わずのぼっていく。

偏食は相変わらずで、魚の内臓を食べない、牛乳を飲まない、缶詰もきらいなど、信じられないことばかり。

ドライフードを入れた容器や水の容器を前脚で動かし好みの位置に持ってきたりもするのですが、歴代の猫たちが使っている猫用の出入り口をいまだに使いこなせないまま。

 

外から入ってくるのは数回失敗してからできるのですが、出ていくことはできないのです。

数時間留守にして帰ってくると、出られないまま出窓にウンチをしていたことも数回ありました。

環境のなせる業とはいっても、ここに来てからの方がもう長くなっている。

どうしたものかと悩みながら、今日も眺めています。

 

日中の気温は10℃を下回り、もう寒くなってきました。

ですが、今年の紅葉はいまひとつ。

そろそろ冬の気配です。

| - | 10:26 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |

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