
辺野古・高江に行ってきました 続き
1日目→辺野古でお昼ご飯、那覇市へ路線バスで帰る。
2日目→乗用車で高江へ→同じ車で名護市へ。
3日目→名護市から女性3人のレンタカーに乗せてもらい、夜、名護市へ帰る。
4日目→名護市のドミトリーでのんびり。
5日目→名護市から那覇空港へ。夜、六ヶ所村へ帰る。
昆布がたくさん入った沖縄そばも食べたし、ステーキハウスでハンバーグもいただきました。
沖縄の食事はとにかくボリューム満点で安いのです。
野菜もたっぷり。
ところが帰宅した翌日、ネットニュースで、沖縄で福島を上回る放射能汚染被害が出ていることを知りました。
汚染された野菜が沖縄で大量に安く出回っているから。
安いホテルでつかの間、知り合ったフィンランドやイタリアなど遠い国の方々。
沖縄の高校生や地元の方々、全国から集まった数百人の方々。
一人ひとりはみんな、気持ちのいい人たちなのに、その人たちが知らずに汚染された食品を食べているのです。
横浜・川崎・品川・なにわ・和泉などのナンバーがついた警察の大型バスがたくさん停まっていたことにも驚きました。
沖縄って陸続きじゃないよね。
この大型バスはヘリコプターか船で運ぶしかないだろうに、そんなにしてまでつくらなければならない米軍施設なのか。
六ヶ所村にだって、こんなに全国からの機動隊員は集まらなかったぞ。
若い機動隊員をみて、複雑な気持ちにもなりました。
戦争で死んでゆくのはこの若い人たち。
たった70年の豊かな生活のために、わたしたちは何をしてきたのだろう。
一日目の那覇市で長い時間、路線バスの往復に付き合ってくださった女性たちが「もう、わじわじーして」と何度も話していました。
「わじわじー」というのはおだやかな怒りを表す独特の沖縄方言でしょうか。
辺野古では座り込み879日+あれから5日。
拘留された方はその日現在6人。
高江にも年金生活者と同数程度の若者たちが交じっていました。
沖縄県教組8県の代表が前に並んで挨拶したときには、現役の若さに歓声があがりました。
「うたえ、うたえ、うたえー、僕たちの人生は、自由にあこがれて、生きてゆけばいいのさ」。
ギターをひきながら、たたきつけるように全身でうたう川口真由美さんと、身動きもままならないほどの狭い場所にじっとしている参加者。
何ができるのだろう。
何をしたらいいのだろう。
考えながら帰ってきた六ヶ所村は、やはり冬。
異常に高温だけど雪の降る季節なのでした。
白さが日ごとに際立っていきます。
今日は煙突そうじをしなければ。
